パープル・レイン期のプリンスのスタジオ活動を超詳細に記録したすごい本

タイトルは『Prince and the Purple Rain Era Studio Sessions: 1983 and 1984』、著者はDuane Tudahl。1983年の1月1日から1984年の12月31日の期間にプリンスがスタジオでどのような録音を行っていたかを、関係者へのインタビューや、録音スタジオとレコード会社に残された記録などを元にして、一日一日詳細に記録されています。この本のための調査が開始されたのは、なんと1994年、Sunset Studioのスタジオ・エンジニア、Peggy McCrearyへのインタビューが最初で、本が書き上げられたのは、プリンスが亡くなる1ヶ月前の2016年3月。つまり、この本の完成には23年の時間と労力が費やされています。

1983年の1月1日から1984年の12月31日の期間に、プリンスは100から150くらいの曲を作曲して録音しています。その内訳は、Prince and the Revolutionの2枚のアルバム『Purple Rain』『Around The World In A Day』収録曲と、それらのシングルのB面曲、The Time『Ice Cream Castle』、Apollonia 6『Apollonia 6』、Sheila E.『The Glamorous Life』、The Family『The Family』などのプロデュース・アルバム、The Bangles「Manic Monday」、Steve Nicks「Stand Back」、Sheena Easton「Sugar Walls」といった他アーティストへの提供曲、その後の様々なアルバムに収録された曲と、現在も未発表になっている多くの曲などなどです。これらの曲を、どのような順番で、どのような期間をかけて、どのように録音していたのかが書かれています。

1983年1月1日の時点でのプリンスは、評論家からは評価が高くて熱狂的なファンも付いているものの、大ヒット曲が無く、周囲の反対を押し切ってLP2枚組でリリースしたアルバム『1999』の売上も伸び悩み、ワーナー・ブラザーズにとっては投資の割には期待通りの結果を出せていない、次のアルバムの売れ行きによっては立場が危うい正念場のアーティスト、という位置づけだったそうです。それが1984年の12月31日になると、1000万枚以上のレコードを売り上げ、世界が注目する最高峰のロック・アーティストの地位を確立しているわけで、この激動の2年間にプリンスが一体何を考えてどう動いていたのかを、この本ではあくまでスタジオでの音楽制作活動を軸にして、初出エピソード満載で書かれています。

1983年から1985年はいわゆる「プリンス・ファミリー」と呼ばれるプロデュースしたグループや、バンド・メンバーたちとプリンスの関係が大きく変化した期間でもあります。映画『パープル・レイン』のためもあって、1人で多重録音して作った曲をライブで再現するための存在だったバンド・メンバー達は前面に押し出されるようになり、バンドに新加入したWendy Melvoin(加入当時は19歳)の影響から、プリンスは周囲からの影響を曲作りに強く反映させるようになります。それを象徴する曲が「Around The World In A Day」で、この曲のもともとの作者はLisa Colemanの弟のDavid Colemanなのですが、彼とJonathan Melvoin(Wendyの弟)の二人が作ったデモテープをWendyとLisaの車のカーステレオで聴かされたプリンスが衝撃を受け、二人の弟達を呼び出して一緒に録音し直したものがリリースされているバージョンなんだそうです。他にもアルバム『Around The World In A Day』全体にあるサイケデリックな雰囲気はDavid Colemanからの影響が大きく、彼がスタジオに持ち込んだ多くのマイナー楽器(たとえば「Raspberry Beret」などでチャリチャリと鳴っているフィンガーシンバルなど)がプリンスのインスピレーションを引き出しています。

その一方で、プリンスの傀儡バンドだったThe Timeは、1983年4月16日にJam & LewisがクビになったことをきっかけにMorris Dayがやる気を失って崩壊し、バンドの残党にWendyの双子Susannah Melvoinらを加えたThe Familyが誕生します。The Familyも傀儡的なバンドですが、The Familyのサウンドの大きな特徴であるストリングス・セクションを手がけたのがジャズ・ミュージシャンでアレンジャーのClare Fischerで、その出来にプリンスは大満足して、その後も二人のコラボレーションは続くことになります。プリンスが他者に好きなように自分の曲に音を加えることを許可したのは、これが最初の例だったそうです。また、The TimeのギタリストのJesse Johnsonが自作曲やライブ録音からもギターソロを削除されるような厳しい仕打ちを受けていたのに対して、プリンスに「本物のFunkやR&BをやってDuran Duranから金を奪おうぜ」と声をかけられてThe Familyに加入したサックス担当のEric Leedsは、レコーディングで自由にソロ演奏することを許されており、プリンスと周囲のミュージシャン達との関係が大きく変化していったことが伺えます。

自分もこれまでにプリンスの研究本の類をいろいろ読んできましたが、これまでの本に書かれていたスタジオでのプリンスは、いつの間にか曲を書き上げて、1人で全楽器を録音し、スタジオから出たかと思ったら歌詞を書き上げ、自分でミキシング卓を操作しながら歌声も一気に録音、一晩の間にミックスまで全部やってアッという間に1曲完成、というような「天才プリンス」像が強調されているものがほとんどでした。しかし、この本の中でのプリンスは、1曲を何日もかけてじっくりと捏ねくり回し、曲に足りない部分を補うために何度もオーバーダビングを繰り返す、確かに天才ではあっても、曲を完成させるためにはじっくりコツコツまじめに仕事をし続ける人、という少し印象の違う「努力の人プリンス」像のほうが強くあらわれています。

それまでロサンゼルスのSunset Studioと自宅の簡易スタジオを併用してレコーディングを行っていたプリンスですが、1983年の8月6日、自宅スタジオを引き払って、倉庫を借りてリハーサル・スタジオ The Flying Cloud Drive Warehouse を開設します。これによって、ついにプリンスは毎日好きな時にマルチトラックのテープレコーダーでバンド演奏を高音質に録音してミックスまで完成させられる、念願の環境を手に入れます。そのため、アルバム『Purple Rain』収録曲はこれまでのようなプリンスの1人多重録音の曲は少なく(「The Beautiful Ones」と「When Doves Cry」は1人録音)、The Revolutionのメンバー達が毎日リハーサルを繰り返した結果に生まれた一体感のあるバンド演奏がしっかりと録音されています。

早朝や深夜にその日のスタジオ作業を終了して帰宅する際、プリンスは曲の現状をエンジニアにカセットテープに録音させ、翌日スタジオに戻ってくるまでの間にテープを聴いて曲の仕上がり具合の確認をします。この確認作業をプリンスは毎日のようにやっていて、そのストイックさに驚くのですが、プリンスはこのテープの管理が雑だったようで、車のダッシュボードにテープを置きっぱなしにしていたのがブート業者の手に渡っていた、という証言もあって、現在世界中に流通するプリンスのブート盤に収録されている「完成曲とは少しだけアレンジが違う謎の別バージョン」的な音源のソースがこのプリンスの作業確認用テープだったとしたら、この音源を元にプリンスの録音作業を追体験できるわけで、想像が広がるロマンある話です。

過去(1991年)に『プリンス大百科』というプリンス研究本があり、これまでに日本で出版された研究本の中で最重要な本だと思うのですが、その本の著者Per Nilsenと、この『Prince and the Purple Rain Era Studio Sessions: 1983 and 1984』の著者Duane Tudahlは関係が深く(Uptown Magazineつながり)、Duane Tudahlは近年プリンス研究への情熱を失っていた(らしい)Per Nilsenから、彼の所有していた資料をすべて引き継いで、この本を作ったそうです。Per Nilsenの『プリンス大百科』や『The Vault』同様に、この本には著者の感想や評論などの記述はほとんど無く、取材に基づく情報だけが丁寧に積み重ねられています(取材に基づく情報であっても、根拠の薄い情報には、しっかりと曖昧な情報だと記載されているという信頼性の高さ)。

この本以前とこの本以降でプリンス研究は別物になるでしょう。売れ行き次第でシリーズ化も約束されているので、ファンの皆さんは是非一家に一冊買って全523ページをじっくり読んでみて下さい。